社長あいさつ

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ごあいさつ

当社のホームページをご覧いただき誠にありがとうございます。

当社商品の原材料の産地である弓浜半島は、江戸時代中期に西日本一帯が大飢饉に見舞われた折、岩見銀山の代官、井戸平左衛門(芋代官)が薩摩からサツマイモを取り寄せ栽培を普及させ、ひとりの飢餓者も出さなかったと伝えられている地域です。先人から受け継がれた良質の砂地と栽培技術でさつま芋を育て上げ、最新の技術で焼き上げた極上焼いも「焼き芋はるか」の商品を全国の皆さまにご紹介し、お届けすることが出来るようになりました。ぜひ一度ご賞味ください。

 

 

 

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生い立ち

私は鳥取県境港市の農家に生まれ、両親が作った農作物と飼っていたヤギのミルクを飲んで育ちました。家ではヤギのほかに豚や鶏も飼い、畑では野菜やイチゴ、米を作っていました。鶏やヤギを飼っていたのは、貧乏で食費をうかすためだと大人になってから聞きました。私は子どものころ、すごく農家が嫌いでした。工業高校を卒業後、広島のマツダ株式会社に就職し、故郷を後にしました。就職をして5年が経ち、米子に支店がある医療機器メーカーに転職して地元に戻りました。その頃から父親が入院することが度々ありました。およそ10年間は有給休暇をとりながら、実家の農業を手伝っていましたが、やがて父親が長期入院をすることになりました。会社の上司に理解があったおかげで、仕事に出られる時だけ勤務し、いつでも休暇が取れるように配慮してもらえました。

 

 

  

農業に魅せられる

子どもの頃は本当に農業が嫌いだった私は、いつのまにか無から有を作る楽しさやワクワク感や自然の凄さに夢中になっていました。農業について色々な本を読んで勉強すればするほど、神秘的かつ科学的な農業の奥深さにすっかり魅了されていきました。

一方会社では、役職を与えられ責任のある立場にも関わらず、休暇を取らなければならず、申し訳なく思っていました。上司に退職を申し出ましたが、辞めるのなら後継者となる技術者を育ててからにして欲しいと言われ、後輩の育成に努めました。やがて37歳の時に会社を辞めて本格的に農業をはじめることにしました。

 

厳しい現実

しかし、農業で生計を立てるのは並大抵の事ではなく、年収は一気にサラリーマン時代の3分の1になってしましました。両親がどんな状況で私たち兄弟を育ててくれたのかが、身に染みて分かりました。ひたすら自分独自の販売を模索して、ピーク時には休みもなく、睡眠時間は3時間程度で懸命に働き続けましたが、農業だけでは一向に収入は増えません。農業だけでの生活に限界を感じていた時、以前働いていた会社から製薬会社の新築案件の責任者に来てほしいと依頼があり、エンジニア職へ自営として再出発することになりました。

 

二足のわらじ

それでも農業に関わりたくて若手農家さんに声を掛けグループを作り、飲食店やイベントに野菜販売の営業をはじめ、共同経営で焼き芋のお店も出店しました。私に至らない点があり、脱退してしまいましたが、現在は焼き芋お菓子専門店「焼き芋はるか」として株式会社グリーンズを立ち上げて芋の栽培、焼き芋商品の開発、販売を行っています。焼き芋販売店を経営していた当時に開発した「焼いもアイスはるか」は現在も当社で販売しています。また、エンジニアとしてのキャリアのおかげで地元の食品会社のご協力を賜り、素晴らしい技術を「焼き芋はるか」の商品開発に活かすチャンスもいただきました。

 

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地元農業の未来

農業の大変さ、収入の低さをこの事業でどうにか改善したいと強く願っています。辛い思いをしている農家が低予算で収入を多く得られる事業モデルになれるように、外注のみの仕組みを作り、誰でも難しくなく農作物で事業を出来るように取り組んでいます。そして若い人が農業でしっかりと稼げる未来を境港に築くためにこれからもチャレンジし続けます。

 

 

優しい焼き芋お菓子専門店

さつま芋が持っている素材本来の美味しさや特性を活かした焼き芋商品を開発し続けます。アレルギーや便秘、糖質制限やダイエットでお悩みの方をはじめ、お子さまからご高齢の方まで、すべての人に安心して美味しく召し上がっていただける「身体に優しい焼き芋商品」をご提供します。

  

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